2007年8月17日金曜日

親の諫め

人には「義務と権利」がある。


義務の対価が権利ではない。


しかし、「果たすべき義務」と「許されるべき権利」を
一つずつ相殺していくことが出来るとすれば、
最後に何が残るか。


最後に残る一つを義務と捉えるか、
権利と捉えるか。



義務と捉えるのは虚し過ぎる。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

私は逆に、権利で終わらせると、
後味が悪いと思ってしまいます。

というのも、義務には自己の存在理由が垣間見えますが、
権利にはそれが見当たりません。

この辺は、自らが強い遺伝子になるのが目的の男性と、
強い遺伝子を探すのが目的の女性では、
結論が変わってきそうな気がしますね。(^^)

匿名 さんのコメント...

「義務」って果たしようによっては簡単にすませるられるし、「権利」って使い方によってはかなり得します。
一つ一つの義務と権利は等価ではないので、上手い具合に権利を大きくすることはできると思います。
まあ、実際そうそううまい話はありませんが。

匿名 さんのコメント...

mixiの足跡を辿って来ました。面白いことを考えていらっしゃるのですね。

 …そうですね、どうも「義務」を単なる「苦役」と同義に考えていらっしゃるからつらいのではないでしょうか。義務とは自己に対して他者から寄せられる「期待」に他なりません。そして、その義務を果たすことで周囲から受ける評価の集大成が「権利」なのではないでしょうか。
 もちろん、権利と義務の間に等価関係も対価関係もありませんが、「期待」に応え続ければ、周囲から認められていくのは確かです。そして、結果的に与えられる「権利」も大きくなっていきます。
 しかし、逆に大きな「権利」を持つものは「noblesse oblige」という語にも示されるように更なる期待を寄せられます。
 つまりは、キャッチボールですね。対価というほど厳密なものではありませんが、緩やかな表裏関係を保っているんだと思います。
 基本的人権ですら、「人間」であることを要件として与えられるものであると同時に、それを享受することで「人間」であるが故に「期待」されることを「義務」とするのです。

 「権利」とそれに伴う「義務」について、その「義務」が「権利」に対して不釣合いだと感じるなら、それは個々人の価値観による打算の問題です。「義務」は放棄することで来ます。ただし、それは周囲の「期待」に対する「背信」であり、周囲からはマイナスの「評価」を受けるでしょう。しかし、それも「選択」であると思います。
 その者は自己が釣り合うと思う「義務」で新たな評価を築いて行く事も可能なのですから(もっとも、所謂反社会的な行為は失うものが大きすぎますから、賢明な選択とは決して言えないでしょうが)…

生意気な事を言って申し訳ありません。御気を悪くしたのであれば忘れてください。

過去の恥部